書籍紹介ー雷鳴の山口組(飯干晃一)
こんにちは軸ブレ社会人です。
今回紹介する書籍は、飯干晃一著の「雷鳴の山口組」です。
こちらの書籍はヤクザもののドキュメンタリーです。
広島やくざの抗争を描いた有名な映画「仁義なき戦い」の作者の飯干晃一。
「仁義なき戦い」や本作品以外にも、「山口組三代目(野望編, 怒涛編)」などやくざを舞台にしたドキュメンタリーを書いています
このシリーズに描かれた、戦後の日本はやくざが日常社会に入り込んで社会生活を営んでいる様子が生き生きと描かれていて、新鮮な影響を受けました。
- あらすじ
あらすじとしては、昭和48年に、神戸を本拠地とする山口組の系列徳元組が、地元大阪の松田組系溝口組の賭場を荒らした「大阪暴力団戦争」が勃発から、昭和53年までの山口組の「戦争終結宣言」を出すまでをつづった内容です。
- 内容
始めは山口組の系列徳元組が松田組系溝口組の賭場を荒らしてしまったことからストーリーが始まる。
本来は末端の組同士のいざござが、上部組織を巻き込んだ形になり、山口組と松田組の抗争が勃発。
結果、血を血で争う報復の連鎖で、山口組3代目、田岡一雄組長をキャバレーで襲う事態になり収集が付かなくなる。
山口組3代目襲撃の主犯格である松田組の武闘派大日本正義団の組員について、警察も交えた3つ巴の捜索など物語が複雑に絡み合います。
やくざの世界では重鎮による手打ちで抗争を終結するのが上等手段であるが、山口組の内部抗争など様々な複雑な事情で、異例の「戦争終結宣言」で終止符を打つ形になる。
ヤクザの資金源の撲滅や組の解体を目的とした「頂上作戦」も詳細に描かれています。
- 所感
かの有名な「仁義なき戦い」の飯干氏の作品だけあって、綿密な取材に基づいて描かれているという印象です。
本作品は「日本アウトロー史」というシリーズの3番目なのですが、過去に1と2も併せて読むとより経緯などもより理解が深くなると思います。
私のようなカタギの人間が記載するのも変なのですが、山口組3代目、田岡一雄組長の描写が、非常にカリスマ性があって、神秘的に描写されていると思います。上記で襲撃されても奇跡的に怪我で済んでいるというところも、それを表しています。
(シリーズ1,2については、ブログを開設する前に読了したので、ブログにできていません。時間のあるときにまたブログ化したいと思います。)
この書籍紹介シリーズはライフワークである読書のごとにブログ化していきたいと思います。
最後までお読み頂き有難うございました。
書籍紹介ー三國志 第6巻(宮城谷昌光)
こんにちは軸ブレ社会人です。
以前自己紹介記事に書きましたが、わたくし趣味についても軸がブレブレでして、ランニング以外にも様々な趣味をもっております。
読書も趣味の一つでして、今後は読んだ書籍についてもブログにしていきたいと考えています。
今回紹介する書籍は宮城谷 昌光氏著の「三國志」の第6巻を紹介したいと思います。
え?なぜいきなり6巻かって?
1~5巻までも読んだのですが、ブログに書き起こすタイミングを完全に失ってしまいました。
今後時間のある時に1~5巻までについてもブログで書籍紹介していきたいと思います。
さて書籍紹介。
- 宮城谷 昌光版「三國志」について
いわずと知れた中国の歴史小説です。これまで様々な文才が「三国志(三國志)」を書籍化してきました。(私も吉川英治著、北方謙三著「三国志(三國志)」などについても読んだことがあります。)
その中でも、宮城谷昌光著の本作品は陳寿の「正史 三国志」を題材に作成された著書であるため、羅漢中の「三国志演義」を題材としたドラマチックな内容とは対極的に、史実に基づいてかかれた三国志といえます。
とはいえ、淡々と事実だけを述べるのではなく、歴史の事実や、史実に記載された人間関係から推測される各キャラクターの思想や、考え方などが丁寧に描かれています。
- 三國志 第6巻のあらすじと内容について
いわゆる前半のハイライトが目白押しです。
✓官渡の闘い後の曹操の冀州平定(袁氏一族=袁尚、袁譚の討伐)
✓三顧の礼による劉備、諸葛亮の迎え入れと隆中対(天下三分の計)
✓長坂波の戦いでの趙雲による阿斗奪還
などが描かれています。
- 見どころ
上述したとおり、第6巻は三国志ファンであれば誰もが覚えている名場面が盛りだくさんに描かれています。
その中でもいくつか三国志演義(といっても三国志の代表的な作品である吉川英治版=以下吉川版との比較になってしまうのですが)とは若干異なるエピソードを描いているところが、私としては興味深かったです。
たとえば、徐庶の離脱のタイミング。徐庶の劉備軍から離脱した理由については、劉備が陣営の中で徐庶を重用できなかったことが理由として描かれています。徐庶の母親が曹操の陣にとらわれたことはあくまでも離脱のための理由で、本音は劉備に重用される諸葛亮への嫉妬が理由。その諸葛亮を紹介したのも徐庶であるところが皮肉なところです。また、三顧の礼へも徐庶は同伴している場面が描かれています。(吉川版だと徐庶は三顧の礼より前に、曹操に徐庶の母親が捉えられ、やむなく劉備軍を離脱したエビソードが描かれていると思います。)
また、長坂波の戦い後の趙雲の合流のタイミングも、ドラマティックな阿斗奪還ではなく、阿斗も抱えたまま趙雲は一度失踪しており、赤壁の戦いのあとに劉備軍に合流しています。(吉川版だと趙雲を追ってくる曹操軍に長坂橋に張飛が立ちはだかり大声で曹操軍を追っ払うという現実離れしたエピソードが描かれていたと思います。)
宮城谷版「三國志」は彼ならではの、落ち着きのある内容で描かれています。
- 所感
私個人として、一番印象に残ったのは、曹操の君主としての振る舞い。話が前後しますが、曹操の冀州平定にための北伐について軍議で意見を募ったときに、臣下に猛反対されるが、反対意見が多数でたものの、最終的には決行。
結果的に北伐は成功するのですが、その後に北伐に反対した諸将を集めて、諸将が処罰を恐れる中、「たまたま天の助けがあったから成功した。常にうまくいくはずがないので、諸君の諫めこそ万安の計なので、賞するにふさわしい。今後も発言を控えないでくれ。」といった場面が印象的です。
悪役として描かれることの多い曹操は、この宮城谷版では名君として描かれている印象です。逆に劉備が遊侠的な人格で描かれているという印象。
曹操はじめ荀彧など好きな人物が魏の陣営に多いので、以降の宮城谷版「三國志」も楽しみに読み進めていきたいと思います。
最後までお読み頂き、有難うございました。
マスクをすると守られている感じがする
今日はゆる~い記事になります。
コロナ禍になって約一年が経過しました。
ニューノーマルの生活が始まりマスクを日常的にすることが多くなりました。
出社の際、対面の会社の会議などでもマスクをして話することもあります。
そんな時、マスクをしていると守られている感覚があるのは私だけでしょうか?
あまり心を許していない人とお話するときでも、感情が表れずらいからなのでしょうか?
私は自分でも気づいていますが、そのような人とお話する際は、目線を外してしまう癖があります。しかしながら、マスクをしているとその人をちゃんと見れます。
よく非対面だと言いたいことが言えるということを聞きます。
インターネットの世界で攻撃的なコメントがでたりして炎上するのは、非対面だからだと思います。
果たしてそのような方々は対面で言いたいことが言えるのでしょうか?
なんとなく目線を外すことと似ているのかもしれません。
そうするとマスクは、私にとってバーチャル非対面ということ?
私にとってマスクはなんとなく心の鎧みたいな感じなんですかね。
皆さんはどうでしょうか?
最後までお読み頂き有難うございました。
新型コロナという病気が厄介な理由
こんにちは。軸ブレ社会人です。
今回は新型コロナウイルスについて少し私見を述べたくて記事にしました。
きっかけは、こちらの記事を興味深く拝見させていただいたからです。
コロナを終わらせるには、マスクを外すことが必要だと僕は思っています。マスクをしている限り世の中コロナだからです。コロナが終わってマスクが取れるんじゃなくて、マスクが取れてコロナが終わるんですよ。
コロナを終わらせるのは自分。マスクを外せばコロナが終わる。 - イケてる航空総合研究所
年齢も、職業も、性別など、置かれている状況が違うが故に、様々な見解、意見があり、意賛否両論あるかと思います。
ですが、こちらの筆者の考え方については共通する部分も多く、自分の思考を発展させたい衝動に駆られ、ブログにしてみました。
新型コロナウイルスについては、マスク装着、外出自粛、飲食店の時短営業、街中での飲酒、オリンピック開催などへの意見が国民の間で分断されぶつかりあうことも多く、また政府への不満などが噴出しており、厄介な問題となっています。
ではなぜ、厄介なのか、、、、
この「新型コロナウイルス」という病気が厄介なのは「PCR検査陽性=コロナ罹患=発熱や肺炎の症状」ではないところかなと思っています。
また人によって恐れているものが違う、これも厄介。
「PCR検査陽性=コロナ罹患」と定義していること自体が若干ミスリーディングであり、それぞれの価値観により、倫理観が分断されてしまっている要素なのかもしれません。
ここは私の勝手な推測ですが、昔から原因不明の肺炎などというものもあったことを考慮すると、今回の「新型コロナウイルス」については、誰かが、肺炎の患者を検査したらPCR検査陽性と出たために、「PCR検査陽性=コロナ感染」と定義し、その中の何人かが発熱肺炎の症状があり、その中の何人かが重症化し、またその中の何人かが死亡したという現象から、「PCR検査陽性=コロナ罹患=発熱や肺炎の症状」と刷り込まれてしまっただけで、この類の病気は昔からあったのでは、とも思っています。
つまり「PCR検査陽性=新型コロナ罹患(あくまでも定義の問題)>発熱や肺炎の症状>重症化>死亡」という構図を正しく認識する必要があると思います。
そして、高齢者や基礎疾患を持っている方、医療従事者などリスクが高い方ほど、ご自身や近い方が新型コロナ感染と診断されることに恐れを感じる。
一方、健康的な若者などは、リスクの低い人は多少の発熱については恐れにも感じず、重症化しない限りり恐れを感じないかもしません。
このあたりの人によって恐れるものの違いが、マスク装着、外出自粛、飲食店の時短営業、街中での飲酒、オリンピック開催などの厄介な論争を生んでいると考えています。
我々はこれまで、手洗いうがい、消毒、マスクなど感染予防対策をしたとしても、感染するときは感染してしまうことを、ここ一年で経験してきました。
私見というか提案として、対策はきちんとしつつ、感染対策に完璧に求めるのはやめてみるのはどうでしょうか?
ではどうするのか?
発熱や肺炎の症状が出た際に新型コロナ感染(病気)と定義する。その上で一般の病気(ほかの発熱や肺炎)と同じように取り扱う。
新型コロナの患者を病床を分けたりすることで病床圧迫などの問題が生じ、厄介なのだと思います。(コロナの終息について以前記事にしました。過去記事はこちら)
コロナのワクチンもPCR陽性を食い止める効果はいまのところ不明なようで、発症や重症化を抑える効果が主目的とのことですので、論理的には合致していると思います。
賛否両論があるのは理解しています。
まあ、ワクチンがいきわたるまではコロナの終息はないでしょうし、無制限に外出したり、マスクを外して、終息宣言をするのも時期尚早でしょう。
言いたいことは、パラダイムシフトです。
結局、病気にかかりたくない人は予防するし、感染予防を怠ったら感染してしまうのも一般の病気と同じです。
前述したように、完璧な感染予防は存在しないです。
過去記事に記載したように、個人に依存する外出自粛を呼びかけるのも限界があります。
また過去記事にも記載していますが、政府などのできることとして、病床確保の仕組みを変える、病床確保の仕組みを変えられないであれば、今回の記事で提案したようにコロナの罹患の定義を変えるようなパラダイムシフトを考える時期なのかもというのが私の意見です。
また先述のブログの筆者は下記のようにも記載されていました。
コロナが早く終わって欲しいと考える人はたくさんいると思いますが、誰かが終わらせてくれるのを待っているというのは他力本願過ぎるんですよ。自分で終わらせないことには終わらないところまで来ている。僕の中では完全に終わってますが、周りはそうではないみたいです。
コロナを終わらせるのは自分。マスクを外せばコロナが終わる。 - イケてる航空総合研究所
他力本願の発想から早く抜け出して、それぞれの立場できることを考える、そんなことを思った次第です。
私も、手洗いうがい、マスクの装着、外出自粛など、自分でできることをしばらく継続します。
また、病床の確保も、病気の定義を変えることもできないので、記事にすることくらいしかできません。
とそんな記事でした。
最後までお読み頂き有難うございました。
いしおかトレイルラン大会ーロングの部に参加しました
皆さん、こんにちは。軸ブレ社会人です。
今回は2021年4月25日(日)に開催された「第14回いしおかトレイルラン大会」に参加したのでそのレポートです。
この大会には、1)スーパーロング45km、2)ロング23km、3)ミドル16kmの3部門あるのですが、私は2)ロング23kmにエントリーしました。
- 自宅から石岡市八郷総合支所(駐車場)まで
ロングの部は10:00スタートなので余裕をみて7:00に自宅を出発。
駐車場である石岡市八郷総合支所には8:30頃到着。そこに車を停めて、受付処理を済ませ(ゼッケンなどは事前に送付済)、スタート地点である朝日里山小学校まで、運営が準備したシャトルバスで向かう必要あります。
私は現場でばたばたするのがいやなので、車の中で着替えなどを済ませ準備万端でシャトルバスに乗り込みました。
石岡市八郷総合支所から朝日里山小学校まで大体20分くらいシャトルバスにのりました。
- 朝日里山小学校(スタート地点)
朝日里山小学校では、出店やショップなどいろいろ出ていました。
気になるサングラスあったので思わず購入。(キャップも気になり踏みとどまったのですのでが、結局ゴール後に購入)
そんなこんなで、荷物を運営に預けたりトイレに行ったりとスタートまで時間を過ごしました。
- ロングのコース23kmについて
23kmの道のりはこんな感じ。4つのエイドと、3つの山を越えていくイメージです。
-
- いよいよスタート(一つ目の山を越えるまで)
最初はロード(舗装路)と林道で約2-3Kmくらい走ります。私は決して速いほうではないので突っ込みすぎないように5分30秒くらいのペースで体力を温存しながら走りました。
ようやく最初の山道に突入。上りは渋滞ですが、ロードで突っ込みすぎたランナーはこのあたりでばてていくので、下りで何人か追い抜いていきます。
一つ目の山を越えて7km地点の1stエイド到着。このあたりはまだ余裕があります。
- 一つ目~二つ目の山を越えるまで
一つ目の山と二つ目の山はロードです。下り坂メインなので快速ペースで進めます。私は4分30秒くらいのペースで進めました。
二つ目の山の山に入る前に9km地点で2ndエイドに到着。
ここでちょっとした事件発生!!
エイドにコーラがあったのですが手が滑り豪快にこぼしてしまいました。
運営の方、周りのランナーの方本当に申し訳ありません(汗)。
少し動揺してしまい、ここの写真は撮れていません。
二つ目の山に突入。ここは一つ目よりも上りが少ないので何とか上り切れます。
ただ、ここも写真が撮れていません。苦しくなってきたのだと思います。
- 二つ目~三つ目の山を越えるまで
二つ目の山から三つ目の山もロードと林道。緩い上り坂でだんだんバテテきました。
13km地点の第3エイドの前あたりで、途中で脚が攣っているランナーさんを何人か見かけました。
「大丈夫ですか?」と自分も痩せ我慢の声をかけ、心の中では「ダメといわれても何もできない」などと思いながら「大丈夫です」の返信を聞き、安堵しながら通過・・・。
三つ目の山の山道に突入するところで運営の方の「長い上り坂~」の掛け声を聞き、その先にある光景に絶望(泣)。
前の二つの山道よりもっと険しい上りが待っていました。
ここで結構な脱落者が出てきました。
私もつらくなってきて途中途中で立ち止まりながら山頂に到着!!
写真を撮ろうと思ったら、汗でパスコードが勝手に押されてロックかかってしまい、結局、写真を撮らないまま下りに入りました。
(この勝手にパスコードを押される事件は最後まで繰り返してしまったようで、ゴールするまで写真取れませんでした)
上りでほぼ脚を使い果たしてしまったので、山頂では私の脚は、ほぼ虫の息。。。
下り坂はヨタヨタになりながら走りました。その結果、速いランナーさんに道を譲ろうと思ったら転んでしまったり踏んだり蹴ったり。
ここでは追い抜かされた記憶しかありません。
- ようやくゴール
三つ目の山を下山し、21km地点の第4エイドへ。
私は三つ目の山の上り坂の遅れを取り戻そうと、エイドへは立ち寄らず、田園を走り抜くことにしました。
ゴールの朝日里山小学校までは田園のフラットな道。
前後のランナーさんとも距離が近くなります。
当日は晴れていたので全員体力を消耗していたと思います。途中で歩いているランナーさんもいました。
私はマイペースを心がけながら、キロ6分くらいのペースで走りました。
最後の最後で学校までの上り坂。
ここをなんとか走りぬき、朝日里山小学校のゴールへ!!
- ゴールした後
ゴール後はしばらく魂が抜けていました。。。
魂を取り戻してからイチゴをおいしく頂きました。
それにしてもこのイチゴがなんとも美味い!!
疲れた身体に沁みわたる。
しばらく経って、心に浮かんできたのは、完走できた達成感と、もっと出来たろ、という悔しさの複雑な心情。
また次回チャレンジを固く誓ったのでした。
そんな大会でした。
- 結果
匿名ブログのため個人が特定されてしまう情報は記載できませんが、3時間15分切りを果たすことができ、順位も344人中上位40%に入ることができたので、自分としては達成感があります。
- 完走の感想
過去参加した大会に比較し、ロードや林道の割合が多かったので比較的走りやすい大会だと思いました。
また、私のGarminの記録では23.8kmの走行距離でしたので、エントリー時に表示されていた距離25kmより少し短いのかなとも思いました。(パンフレットではこっそり修正されていました)
スーパーロングに参加された方のGaminでの走行距離を拝見するにも、エントリー時には50kmであったものが、47km程度でしたので、同様に少し短くなったのかと思います。
また感染対策もばっちりで、運営の方も全員PCR検査を受けていたようです。最後のイチゴも甘くて美味しいし、沿道や民家の方も応援いただいて力になりました。
石岡市自体がトレイルランに力を入れている様子です。
コロナ禍のご時世の中、安心して大会に参加できることに心から感謝!!
本当に有難うございました。
少しでも大会の様子が伝わればと思います。現場からは以上です。
最後までお読み頂き有難うございました。
軸がブレることについてー竹のようにしなやかに
軸がブレることについて...
よく朝礼暮改とか、二転三転とか、首尾一貫しないとか、決断や意見が変わることについて、悪い意味でとられることが多いが、それはそんなに悪いことなのか?
軸がブレるのは、世の中の風潮が変わったり、これまで持っていなかった知識が加わったり、新たな情報が入手できて、見えているものが変わったからだと思う。
周りを振り回さないために、予め先を読む、知識を付ける、情報を入手することは必要であろう。
その上での軸ブレは言い換えれば、常にベストを目標に、ベターな意思決定をしている証拠だと思う。
頑固な人は、間違いに気付いても直さない。
間違ったまま自分を追い込んでしまったり、そのまま周りを巻き込んでしまうことが多い。
気付いた瞬間に「間違い」として素直に認め、修正が必要だと思う。
大切なことは、芯だと思う。
世の中の風潮、知識の有無、情報に左右されない確固たる信念は必要。
それは自分の個性とも、価値観ともいえると思う。
それは大切にしたい。
竹は折れることはなく、しなやかに曲がる。
私は、竹のようにしなやかにブレたい。
軸がブレたっていいと思う、芯がある限り。。。
最後までお読み頂き有難うございました。
誤字、脱字のクセが直らないー努力はするが完璧を求めることはあきらめた
誤字、脱字のクセが直らない。。。
私は仕事のメール、ツイッター、ブログ等、文章を書くたびに、誤字、脱字が発生する。
何度か見返しているのに直らない。おそらく他の人より間違いに気付かないほうだ。
逆に、自分の文章を他人に開示した後に気付くことが多い。開示後は、他の人より気付くのが得意だったりする。
間違えるパターンは大体決まっている。
- 「以前」「依然」などの変換間違い
- 「て、に、を、は」などの助詞の間違い
- 一文が完了しておらず、途中半端なまま
などなど
なんとなく誤字、脱字の原因は心あたりがある…。
私は思ったことを全て文章にして伝えたいタイプなのだが、一文を書いている途中で、頭で思いついたことを忘れないように、別の行にとりあえずメモ程度に記載することが多い。
そして、書きかけた一文に戻る。(もしくは戻らずに別の文章を記載してまう)
このあたりできっと誤字、脱字が発生しているようだ...。
きっと全てを伝えようとする私の性格が根本原因。
やはり「みなまで言うな」を心がける必要ありそうだ。
いまのところ解決策は見当たらない...。
何度も読み返すことを心がけているが直らない。自分で書いている文章の間違いに気付くことは難しい。
第三者に見てもらうことも一つの手であるが、よっぽどフォーマルな文章を作成するケース(限られた仕事のケース)しかできないだろう。
現実的な手段は、時間をおいて、別人格としてチェックすることであることであるが、それも限界がありそうだ。
努力はするが完璧を求めることはあきらめた。
私は何もないところから75%くらいの出来栄えで作り上げるのが得意(と思っているの)だが、75%→100%まで磨き上げることは他の人に任せることにした。
なんならこの記事もきっと誤字脱字をしているだろう。
そんな時は是非読者の方は不足している25%の意図を汲んでほしいと思う。
最後までお読み頂き有難うございました。