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書籍紹介ー三國志 第7巻(宮城谷昌光)

こんにちは軸ブレ社会人です。

 

今回も書籍紹介です。

宮城谷版三國志、第7巻読了しましたのでそちらのご紹介。

 

第6巻の内容はこちら。

blogshoshinsya.hatenablog.com

 

  • 宮城谷 昌光版「三國志」について(第6巻の書籍紹介にも同内容掲載)

いわずと知れた中国の歴史小説です。これまで様々な文才が「三国志三國志)」を書籍化してきました。(私も吉川英治著、北方謙三著「三国志三國志)」などについても読んだことがあります。)

その中でも、宮城谷昌光著の本作品は陳寿の「正史 三国志」を題材に作成された著書であるため、羅漢中の「三国志演義」を題材としたドラマチックな内容とは対極的に、史実に基づいてかかれた三国志といえます。

とはいえ、淡々と事実だけを述べるのではなく、歴史の事実や、史実に記載された人間関係から推測される各キャラクターの思想や、考え方などが丁寧に描かれています。 

 

  • 三國志 第7巻のあらすじと内容について

劉備荊州四群の平定を機に、益州を獲得して本格的に三国鼎立の初期の様子を描いている、いわゆる荊州争奪戦。

魏の曹操は、南に位置する呉の孫権への牽制や、西に位置する涼州馬超韓遂の諸将との闘い、また張魯が治める漢中の攻略など忙しい。

ここで描かれているのは、

孫権の妹、孫氏の劉備との政略結婚

荊州南部の重要拠点である広陵を守る曹仁 vs 攻める周瑜の長期戦

曹操孫権の争いの間隙を突いた劉備益州攻略と龐統の活躍

曹操涼州平定に向けての馬超韓遂の離間の計(潼関の戦い)

✓三国鼎立こそ呉の繁栄と信じる魯粛による劉備への荊州の譲歩

✓魏の張遼の決死の戦いを描いた合肥の防衛戦(合肥の戦い)

など

 

  • 見どころ 

劉備による益州の搾取周瑜の死後、益州攻略の意思を継いだ孫権は、益州攻略を劉備に命じ、劉備は承知するもののなかなか動かず時間稼ぎを行う。その期間に関羽へ呉から江陵の奪取を命じ、呉の益州攻略を妨害する策を取る。その後、漢中の張魯征伐を理由に益州へ招き入れられた劉備は、張魯征伐をせず時間稼ぎ。また呉からの救援依頼をうけ、龐統の諫めも聞かずに、荊州に引き返そうとする。それによって劉備益州のために迎立したがったいる張松が謀反を疑われ殺害され、それを待っていたかのように劉備は自軍の正当性を主張して成都劉璋より奪う。元々張松、法正より会見の席で益州劉璋を捕殺し成都を急襲するように提案されるがその策には乗らず、様々な芝居じみた行動で、みかけの正義の論理をかざして、劉璋から益州を盗み取るような権謀を働く。これまで領地を持たざる劉備荊州四群を手中に収めてから領地拡大に勢力的になている様子が描かれている。

 

もう一つは、曹操の西方の鎮定張魯が収める漢中攻略の手始めとして、馬超韓遂始め西方諸将の涼州の蜂起を抑えるための配下武将の起用の仕方に着目したい。急襲に定評ある夏侯淵に、洞察力のある徐晃、晩器大成型の朱霊をつける。また潼関に、周瑜に敗北し始めての挫折を味わった曹仁を配備する。これは曹操のいろいろな期待が込められていて、夏侯淵への将としての成長や、呉との再選を熱望している曹仁に頭を冷やさせる意図などがあったり、非常に興味深い。一度は馬超の武力と巧みな戦術により破れてしまうものの、賈詡馬超韓遂の離間の献策により、西方諸将の内部より切り崩しを図り、馬超を壊走させる。その他、様々な場面で、楽進と李典の確執のある将を意図的に組ませるなど、そのあたりの細やかな記載があるのが面白い。

 

最後に、魯粛孫権の君主とのしての飛躍と呉の繁栄に対する思い。魯粛周瑜とは違い策ではなく、大局をみて呉の重要な判断を行ったり君主である孫権に献策をする。劉備が、孫氏との婚姻をきっかけに荊州四群を収める際の了解を取るべく呉に来た時も、外来の才能を使いこなす君主になってもらいたいという思いから、劉備を拘禁するべきという諸将の意見に反対して、劉備荊州を任せるように孫権に取り計らう。また関羽と対峙したときも、孫権劉備が争って喜ぶのは曹操であることを見越して、関羽と話し合いをもち、荊州の割譲にも折り合いをつけた。主である孫権の器量を下げない配慮と、恨みを買うより恩を売るのが勝ちとなるという魯粛のぶれない信念で決着することになる。孫権劉備の協力関係はたとえ見かけだとしても、曹操は身動き取れなくなる。曹操を困らせた呉の脅威は、周瑜ではなく魯粛であったともいえる。

 

  • 所感

劉備益州を奪いとるときの簡雍の活躍が興味深い。劉備成都諸葛亮張飛趙雲黄忠はじめ、配下に加えたばかりの馬超など諸将を集結させるが、武力ではなく話術で益州劉璋に降伏させるように仕向けた。簡雍の人柄や劉璋との屈託のないやり取りが面白い。

また、私の中で、あらためて印象に残った人物は魏の鍾繇曹操は安定しない西の情勢を、長安、洛陽に鍾繇を配備して、西方の諸将を撫柔していた。武力ではなく徳政で抑えており、馬超ですら鍾繇に協力していた。とうとう馬超の蜂起により武力で抑えざるを得ない状況になったが、徳風によって長期間抑えた実績を曹操は称えている。涼州平定のため洛陽に入った曹操は、洛陽の街並みを見ただけで鍾繇の努力の量と質を慮ったとのこと。とにかく鍾繇の徳政と、曹操の洞察力に感銘を受けた。

 

最後までお読み頂き有難うございました。