「老いる」ということ-オリパラ会長の「いざこざ」から
みなさん、こんにちは。
森会長辞任しましたね。そのあとの川渕さんの就任辞退と混乱続いています。
今日はそれらの「いさこざ」をみて思うことを書きます。
老いるというだけで差別されてしまう風潮、、、そんな雰囲気になってしまうこの社会に懸念を覚えます。
本当に選考プロセスに透明性がないことが川渕さんが後任にならなかった理由なのか、、、、
選考プロセスの不透明さは後付けの理由のように思えてしまい、今回の例でいえば川渕さんの人物や考え方、手腕への評価を無視して、同じくらいの年齢の方が候補に挙げられていることに対する抵抗のような気がしています。
公共の電波、SNSなどの文明の利器を駆使して「権力や実力のあるおじいちゃんを攻撃して下野させる」ことが目的になり、拡散させるマスコミ、若者、、、、またその声を増幅させる世論、それの意見を汲んでしまうように思える政府、などなど、、ちょっと気持ち悪いし、正直あまり気分の良いものではありません。
年齢差別はなんともないのに、女性差別を非難することに躍起になる、、、あまりも矛盾していますよね。
この件、ちょっとまって、、、、目的を忘れていませんか?
この人事は、Diversity & Inclusiveを尊重したオリパラを成功させることができる人物を選ぶべきでは、ありませんか?
是非この視点で、後継の人事を行ってほしいものです。(その意味では、結果として女性であってもいいのですが、選考の過程で女性の起用にこだわるべきではないと思っています。)
ところで、高齢化している日本の社会では、高齢者の活用が生命線になってくると思っています。そういった意味では年齢差別はあってはいけない、というのが個人的な考え方です。
Diversity & Inclusionは、性別、国籍、人種などの視点で教育を受けることは多いですが、年齢という視点で教育を受けることが少ないような気がしています。
日本や香港などのアジアの世界では、きっとこの視点でのDiversity & Inclusionを先行する必要があるのではないでしょうか?
では、老いるということはどういうことか。
勝手に「老いる」ことの負の側面をとらえると、私の考えではこんな感じになるのではないかと思います。
- 過去の栄光や実績に虚栄心をもつ
- これまで経験したやり方や手法に固執する
- 新しい価値観や技術を吸収する意欲がない
- 年齢が上というだけで、自分より年齢の人を見下す
こんな人いますよね。
私も会社に勤めている中でこんな上司、先輩、仲間がいました。正直、組織にとっては面倒だし、コストでしかない。
これは想像力の欠如から、自分の経験や記憶の範囲から抜け出せず、新しい価値を生み出せないのだと考えています。
次に、「老いる」=「悪い」という先入観を捨てなければならないと思っています。では「老いる」とはどういうことか。私は「老いる」ことの利点を、以下のように感じています。
- 経験を通じて、今後の展開がある程度予測できる
- ピンチの時の切り抜け方、被害を最小限に食い留める方法を知っている
- これまでの仕事を通じて人脈を構築している
- 成功、失敗体験などの時間を共有しているため、周囲からの信頼を獲得している
- 風体から安心感を周囲に与えることができる
こんなところではないでしょうか?そういった意味では「年齢を重ねる」もしくは「経験を積む」という表現のほうが適切なのかもしれません。
私はこれらの利点をうまく活用する風潮を作っていくべきだと思っています。
日本では、65歳以上の比率は約25%。この比率は2040年には35%の予測。今後ますます高くなる。さらに健康寿命は年々上がってきているので、まだまだ社会や組織に貢献できるし働ける。
性別だけではなく、日本ならではの、Diverity & Inclusionを発展させると、よりよい社会が作れるのではないでしょうか?
私は現在46歳。年齢も重ねて参りました。
自分も仕事や生きてく上で、「経験を積み」「年齢を重ねて」自分の魅力を磨きたいと思っています。
そのためには、柔軟な発想、意見を受け入れる度量、新しい技術の知識の吸収などを行い、自分の引き出しを増やしていきたいです。
でも、それってなかなか難しい~。
皆さんはどうでしょうか?
最後まで読んで頂き有難うございました。
森会長の会見をみて-生きづらい世の中になりました
こんにちは。
誰かを批判しているわけでも、擁護しているわけでもないのですが、
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の会見・謝罪会見をみて思ったこと。。。。。。
ああ、生きづらい世の中になったなと。
言論の自由といわれている中で、昔にくらべて自分の思いを表現しづらくなってきていると感じています。
また、身内や仲間うちでの貢献や実力では人には評価されず、自分のことを知らない人にどうみられるか評価されるかが大事な価値観になってしまっていると思います。
森会長はきっと正直な方で、思ったことをつい口走ってしまう。つまり今の時代に合わないリーダーなんだと思います。なので表舞台から去ったほうがいい。
一方、(あくまでも、ネットやテレビの情報なのですが)、彼の外部とのネットワークの力や影響力、またラグビーワールドカップの成功などのこれまでの実績など、きっと大会組織委員会の中では、素晴らしいリーダーシップを発揮された方なんだと思います。
もしかしたら時代が違えば、もっと評価されたり、リスペクトされた方だったのではないかと。
ここで2つの問題について、自分の思ったこと。
一つは、「感情や考え」の表現について、
私も含め、これまでの経験や周りからの影響で、きっと誰の心の中にも、ドス黒い感情などがあると思います。また意図的でも意図的でないにせよ、周りの誰かの言葉に怒りの感情も湧き上がることもある。
それを表現してしまうと、どんなに身内の評判がよかろうと、実績を上げていよと、自分のことを知らない誰かから攻撃や批判の対象となってしまう。
今の時代、そんな心にあるもの、きっと思ったことを口にしてはいけない。口にするタイミングは、聞く人や場所を慎重に選ばないといけない。
ネットやSNSの普及で自分を表現するインフラは整ったけど、実際は表現するのが難しい風潮。よくよく考えてみると、昔から表現の機会は、結局差し引きゼロなのか。。。
二つめの問題、「実力と評価とのギャップ」について、
実力や実績があっても、評価されないことが多い。一方実力や実績がなくても、外見の見てくれや立ち振る舞いが良いと評価されていることが多い。そんなことって自分の周りにありませんか?
実力や実績があり、外見の見てくれや立ち振る舞いの良い人もいます。逆にそうでない人もいます。きっと実力や実績に自信のある人は一種の不公平感や生きづらさを感じていませんか?(今度私のことを書きますが、どちらかというと私はそういうタイプの人)
今の時代に対応するためには、役割分担が必要かもしれないですね。表向きに表現する人、内部で実力を発揮して実績を上げる人。両方とも担える人がいれば良いですが、なかなかいないのではないでしょうか。
また表向きに表現する人と、内部で実力を発揮する人は評価をきちんとしていかなければいけないとも思います。どちらがトップになる場合もあり得る世界。
なので、
森会長、あなたは実力もあるし実績もある。ですが、あたたは正直なことで、思ったことをつい口走ったり、自分の感情を抑えることができない。
今の時代に合わせるためには、自分が変わらなければいけないのではないでしょうか?
自分のスタイルを変えることができないのであれば、表舞台から去り、うまく外部に発信できる方にお任せすればいい。実力も実績もあると思うので、組織のトップの座にいたければ、いいてもいい。本当に日本でオリパラを開催したいのであれば、そんな時代を理解し、自分の適性を理解した上で、自分の役割を全うするべきと思います。
でも自分のこととして置き換えると、なかなかできないんですよね~。人間欲張りだし。
長々とすいません。ロジックぐちゃぐちゃですが、とりあえず最近思っていることを書いてみました。
お読み頂きありがとうございました。