誤解を恐れるあまり誤解されるー「みなまで言うな」の美学
私は誤解を恐れるあまり逆に誤解される傾向にある。
誤解を解くために一から十まで説明しようとしてドツボに。
結果として、自分が損するようなことを口走ってしまいます。
「実はあの時、あの人が、、、、こうでこうだった」と事実と反することは何も言っていないものの、結果的に自分を落としてしまいます。
こういう時どうするのがいいのでしょうか?
きっと多少の誤解を招いたままで終わるのが良いのでしょう。
なぜならば
「誤解している」と思っているのは自分だけで、確実に「誤解している」とは限らないだから。
もしかしたら「誤解している」のかもしれないが、それも確率論です。
誤解を解こうとして、一から十まで説明すると自分を落とす確率は高い。
総合的に考えると、きっとそのままのほうがいいのではないでしょうか?
でも、、、、
わかっているけど、できない。。。。。
よく「みなまで言うな」という言葉があります。
これは「大体のことは察したから、もう洗いざらい言葉にして伝えなくてもいい」という意味です。
「察する」という言葉は美しく、奥ゆかしい。
相手に、想像力を働かせるような言い方がちょうどいいのかもしれないです。
説明するのではなく、
想像力を働かせる話し方ができる人になりたい。
そんな大人になろう。
最後までお読み頂き有難うございました。
コロナの終息について冷静に考えてみた
皆さん、こんにちは軸ブレ社会人です。
今日はコロナの終息について記事にしたいと思います。
はっきり言ってこの記事は、どれも当たり前のことで具体策も明示できていません。
しかしながら、ある報道番組で、元陸上選手の為末大さんが、日々思っていることを、見事に言語化していましたので、それを少しだけ発展させて、最後は毒も吐きながら、記事にしています。
コロナの終息について、対策は基本的にはこの3つしかないです。(ここを為末氏が見事にポイントついてコメントしていました)
- 感染を拡大させないように、人の流動を抑えること
- 重症化しないように、ワクチンを早く流通させること
- 患者の命を救うために、医療体制を確保すること
- 感染を拡大させないように、人の流動を抑えること
これは感染を拡大させないための直接的な手段。しかしながら人の制限を伴い経済を犠牲にする部分があります。
これを行うために政府は飲食店の時短営業などを行ってきました。
しかしながら、これを徹底させるためには、飲食店などの店側を制限するだけでは普及分で、共産主義のように個人の権利を制限できるような体制下でないと難しいし、その体制でなくても、外出や会食した個人を「死刑」(あくまでも極端な例)みたいな厳しい制限をかけない限り、人の流動を抑えることは厳しいと考えています。
これは役人が会食をしている実態からも明らかで、今の政府や自治体の対策がこの手段で個人に協力を促すだけになってしまっているのに懸念を覚えます。
- 重症化しないように、ワクチンを早く流通させること
これは感染したとしても、重症化しないための手段ですね。他の先進国と比べるとワクチン確保の出遅れ感は否めませんが、地道に確保につなげてほしいと思います。
ワクチンについての恐怖やアンチのコメントもありますが、途上国に比べるとそんな恵まれた環境はないので、私は打つべきと思っています。
他の国の状況もわかるし、出遅れ感をむしろラッキーととらえたらどうでしょうか?
それにしても、一般の方にも早く接種の順番を回してほしい…。
- 患者の命を救うために、医療体制を確保すること
知っていましたか?
今回のコロナ騒動で死者数は減っているらしいです。以前記事にも書きましたが、人々の衛生の意識が向上し、コロナ、自殺以外の死因は減っています。全体でも死者数は減っている。
新型コロナ: 年間死亡数11年ぶり減 コロナ対策で感染症激減: 日本経済新聞
ここは推測でものを語りますが、医療のケアを受けなければならない患者も減っているのではと推測されます。
一方コロナ病棟の病床ひっ迫の報道もあります。
であれば、医療についての需要と供給のミスマッチとも言えます。
なんとかならないんですかね?
きっと、、、、なんとかならないんでしょうね?
私も関連した業界にいますが、きっと古い体質、既得権益、含めいろいろなしがらみがありそうです。病院経営がことごとく赤字なのも同じところに原因があるような気がします。
いっそのこと、医療体制の根本を覆すくらいの改革をしない限り変われないような気がします。
一番心配なのは、そのような根本に立ち返った議論を生むような報道をマスコミがしていないこと。
街に繰り出す若者、飲食店の不満、マスクしない騒動など、人の流動を抑えることの手段について中心に報道しているような気がします。
良くてもワクチン確保の報道(および政府や自治体の対応の批判)ですね。
なぜ医療体制の改革についての議論が生まれないのだろうと思います。
医療従事者の配慮でしょうか?感染リスクにさらされている医療従事者へは頭の下がる思いですね。
一方、医療従事者への感謝の気持ちと医療体制の改革は区別して議論するべきと考えています。
最近在宅勤務が多く、テレビを見る機会があまりにも多く、最後はマスコミに対して毒を吐いて終わります。
とにかく、くそ真面目に自粛している私としては、毎日息苦しいので早く終息してほしい一心です。しかしながら前出した3つとも、どれも簡単ではなく、一朝一夕では終わらなそうです。
最後までお読み頂き有難うございました。
少ない努力で効果を上げる方法ー強味を伸ばすのが本当に良いのか?
皆さん、こんにちは。軸ブレ社会人です。
よく「良いところを伸ばす」とか「強味を伸ばす」とか言いますよね。
それについて、最近思うことを記事したいと思います。
たしかに、一理あります。
けど、これは若い才能などに使うのが良いですが、私みたいなびろびろに伸びきって、枯れている「おっさん」には当てはまらないと思っています。
きっと「おっさん」達はすでに良いところとか強味を伸ばしてきたはず。
だって、そっちのほうが楽だから。
結果、もうこれ以上、伸びしろがなくなってきているはずです。
なので、最近は弱点を克服、もう少し柔らかい言い方をすると、「苦手なことをそこそこに」、をコンセプトで動いています。
実例でいうと、私トライアスロンをしていますが、スイムが苦手でした。
種目別順位もスイムだけ極端に順位が下がっていた状況。
スイムをラン、バイクくらいの順位に引き上げることで、ものすごく順位が上がりました。
今はこれが私にとって、少ない努力で一番効果を上げる方法だと思っています。
仕事についてもきっと同じではないかと思います。
得意なことばかりやるのもいいですが、たまには、未知の領域をチャレンジすることで、仕事の幅が広がることもあると思っています。
と、そんな短い記事でした。
最後までお読み頂き有難うございました。
団塊ジュニアのぼやき
戦争が終わって平和な世の中になり始めた時代に生まれた世代がいわゆる団塊の世代。
私は、その団塊の世代の子の1974年生まれ「団塊ジュニア」の世代である。
Wikiで調べると、下記とのこと。
団塊ジュニア(だんかいジュニア)とは、日本で1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)[1]に生まれた世代を指す。最多は1973年(昭和48年)出生の210万人で、団塊の世代の最多である1949年(昭和24年)出生の270万人より少し少ない[2][3][4]。第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる[5][6]。
この世代はいわゆる「とばっちり」の世代だと思っている。。。
今回はその「団塊ジュニア」のぼやき。。。
- 学生時代
学生時代は先生からの体罰は当たり前の時代。私も悪いことをして先生にひっぱたかれたことあります。今では信じられないけど、当時は何とも思わなかった。それが当たり前。
部活も上下関係が厳しかった。中学、高校とも、1年生はボールすら触らせてもらえない。何のために部活に入ったか意味不明である。そんな1年生が上達できる機会が制限される。2年生、3年生を追い抜けることは稀で、学生生活にいる間はその上下関係に縛られる。
そんな学生時代には、買いたいものはまったく買えなかった。特に雑誌にのっている服は高くて買えなかった。
そんな中、社会人がキラキラして見えたな。いわゆるバブル絶頂期。早く社会人になってきれいなお姉さんや、かっこいいお兄さんたちの仲間に入りたかった。
- さあ、社会人へ
大学生活も終わりのころ、「さあ就活!!」となるとバブル崩壊。いわゆる就職氷河期に突入。キラキラした社会人生活はどこへ行った?! 行きたい会社には就職できず、ようやく得た内定は、第5志望の会社。私は免れたけど、内定取り消しになった友人もいた。
就職してもろくな指導も受けず、背中を見て仕事を覚えろ、と。。。。教わってもいないのにできるわけがない。今思えば、上司からパワハラまがいの指導も受けたりもした。本人には特に意識していないと思うが、セクハラ的な行動も職場で横行していたような気がする。
そんな境遇から抜け出したいと、必死になって仕事をした。いろいろな仕事もも、「仕切られる立場」から「仕切る立場」へ。「評価される側」から「評価する側」へ。
- 中間管理職の悲喜こもごも
ようやく管理職へ昇進したものの、時代が全く変わってしまった。会社もダイバーシティだの、インクルージョンだの、自分の価値観でものを語るのは許されなくなった。今までいっぱい価値観押し付けられてきたのに!!
ちょっと部下に何か指導しようとも、「パワハラ」でないか自問自答してから。異性にコミュニケーションしようとも「セクハラ」でないか客観視してから。何をするにも慎重にならざるを得ない。怖くて仕方ない!!
なんか各時代時代で歯車がかみ合っていないというか、沼から抜け出そうと思っても、また次の沼にはまる、といったそんな感じ。
ちょっとだけポジティブにとらえれば、そんな苦悩を味わったからこそ、相手の気持ちがわかる、とも言えます。
とそんな愚痴でした。
きっと、私の世代以外にも各世代が抱える苦悩があるのもよくわかっていますが、いわゆる「団塊ジュニア」のぼやき、でした。
最後までお読み頂き有難うございました。
ダイエットのこつを、仕事のやりかたに例えてみた
皆さん、こんにちは。
昨年から発生したコロナ禍で、外に出て運動することすら控えている時期がありました。標準体重74kgくらいの認識でしたが結果80kgオーバーに。。。
昨年の秋ごろに、さすがにヤバいと感じ始め、ダイエットをすることにしました。
現在は72kgくらいまで落とすことができたのですが、今回は私がこれまで行ってきたダイエットについて書いてみたいと思います。
思考の整理していく中で、ダイエットで気にするべきことが、仕事でのちょっとした工夫と重なりあった部分があったので、仕事のやりかたに例えて記載してみたいと思います。
私が行ったことは下記の4つ。簡単に取り組めて、効果の高いものから順に記載していきます。
- iPhoneの「ヘルスケアデータ」で体重を記録
- 「あすけん」アプリで、摂取カロリー、消費カロリーを記録
- ガーミンでランニングし消費カロリーを増やす(&”ラン垢”作成)
- 「防風通聖散」でカロリー消費を加速
- iPhoneの「ヘルスケアデータ」で体重を記録
いわゆるレコーディングダイエット。
一番の目的は体重を下げることのなので、体重を毎日記録することが重要です。体重を毎日記録することで、日々の行動の意識が変わります。
ちなみに、体重の記録は毎日、同じ時間、同じ体重計で記録することが大事。でないと計測の仕方のブレが出てしまいます。私は1日で体重が3kgは変動してしまうので、基本的に朝食後、トレーニング後、風呂後を基本的に計測していました。
これは仕事をする上でも、最終目標である管理指標(KPI)を、毎日、同じ時間、同じ指標でモニターすることと、全く同じです。モニターすることでPDCAサイクルが回せ、以降の最適な行動がとれることと同じです。
体重の記録は、後述する「あすけん」アプリでも、「ガーミン」でも記録できるのですが、1日複数回となると iPhoneの「ヘルスケアデータ」への入力が、記録がきちんと残るので一番良いと思います。他のアプリは上書きで最後の記録しか残りません。「ヘルスケアデ―タ」からほかのアプリへ連動させることもできます。
- 「あすけん」アプリで、摂取カロリー、消費カロリーを記録
次に重要なのは体重が増えてしまう原因であるカロリーの管理。
ここも体重管理の2次的な指標として重要であるカロリーを視覚化すること。
つまり体重という「ストック」をコントロールするには、カロリーのINとOUTという「フロー」をモニターすることが重要です
私の専門分野であるサプライチェーンの仕事に例えると、在庫管理をする上で、業者からの仕入れ(倉庫への入庫)と、日々の売れ行き(倉庫からの出荷)のバランスを見ておかないと、在庫過多が起きてしまうことと同じことです。
摂取カロリーの記録は、私は「あすけん」というアプリを使っていました。キーワードを入れれば、食料のカロリーが記録できるし、ほとんどの市販の食料も登録されているので入力が楽です。またカロリーだけではなく、不足している栄養素などもアドバイスしてくれます。プレミアムサービスを利用すれば、食事を撮影することで自動で摂取カロリーの入力ができるようです。
消費カロリーは、iPhoneの「ヘルスケアデータ」から連携すれば、歩数などから消費カロリーも計算してくれます。私がガーミン(ランニング用アプリ)も併用しているので、運動した消費カロリーも計算してくれます。
- ガーミンでランニングし消費カロリーを増やす(&”ラン垢”作成)
まあ、普通のダイエットです。とにかく運動して消費カロリーを増やす。
普通に考えれば摂取より消費が多ければ、体にエネルギーは溜まっていかない、という単純な理屈です。
私は以前よりランニングは行っていたのですが、月間100km走れれば良いほうでしたが、昨年の10月くらいから頻度を上げてみました。今は月間250kmくらいになりました。
ランニングは、ガーミンというスマート時計を使用しています。ランナー界隈ではスタンダード中のスタンダードのツールです。アプリと連動して、ここで走行距離、速度ペース、心拍数、ピッチなども計測してくれます。とにかく便利です。
ただ一人でランニングするのって、辛いですよね。私は今年の2月くらいからツイッターのアカウント(ラン垢)作ってランナーをフォローしまくりました。そうするとフォローバックもしてくれます。ランナーといっても速い人から遅い人まで様々で、速い人のツイートみて練習方法を参考にしたり、同じくらいの方に共感したり、モチベーション維持、向上に利用しています。とにかくSNSって面白いですね。
普段の仕事でも、スキルの高い社員のやり方を参考にしたり、同僚と愚痴を言いあったりするのと同じで、そうすることでモチベーションの維持や、向上ができることと似ています。
- 「防風通聖散」でカロリー消費を加速
単純にエネルギーの消費を加速化するための策です。
これは仕事でいうと、在庫一掃セールというところでしょうか?
先ほど「フロー」のお話をしましがが、溜まってしまったカロリーを消費するためのブースターという感じですかね。本質的な効果としては、お腹にたまらないように対外に出す効果のようです。
防風通聖散はいろいろなメーカーが出しているみたいですね。有名なのは小林製薬の「ナイシトール」。私はアマゾンでセール品を買いました。
どこまで効果あるかはわかりませんが、体感としては「お通じ」は確実に良くなる気がします。
推奨は1日3食前に飲むようですが、おなかが緩くなることがいやなので、初期のころから、昼食と夕食の2食前に利用していました。今はだいぶ痩せられてきたので、夕食前に飲んでいます。
そんなこんなで、約5ヶ月間で、82kgあった体重を、72Kgまで減らすことができました。
ダイエットとしてはものすごく一般的で、特別なことをしたわけではないですが、体重やカロリーを「記録」し「視覚化」することで、自分の行動に抑制がかかり、ダイエットの効果があったような気がします。
いかがでしたでしょうか?
最後までご覧頂き有難うございました。
パワハラされたり、パワハラしたと訴えられたりー自己紹介記事(2/2)
皆さん、こんにちは。軸ブレ社会人です。
前回の投稿から約1週間間が空いてしまいましたが、「自己紹介記事」の続きです。
前半の記事で、香港の女性上司からのパワハラまがいの言動などにより、メンタルが完全に崩壊、転職したことをご紹介いたしました。今回はその続きです。
3社目はアメリカのカテーテルメーカーの日本法人に転職しました。そこでは、製品需要の予測に基づき、製品供給枠確保に向けてアメリカ、コスタリカの生産工場と折衝し、顧客から注文を受注し、希望納期通りに製品を納入するという、一連のサプライチェーン業務に従事していました。日本法人の社員の規模は約130名くらい。これまで勤めていた中で、一番小さい規模の会社でした。しかしながら、この会社は私が転職する前に、ヨーロッパの大手医療設備メーカーに買収され、日本法人も統合することが決まっていたので、私としては統合後の会社に転職したという認識でいました。結論からいうと、この会社では約5年勤めて、会社の上層部や文化などあまり馴染めず、今の会社に転職することになりますが、結局今もいい印象のない会社です。
マネージャーとして転職したこともあり、転職した当初は部下からも様子を探られている状況でした。その中で一人お局様的社員の部下がいて、私は彼女から無視されており業務知識がなかなか吸収できずにいました。この女性、決められた仕事はこなすものの、仕事の工夫や創造性など皆無で、正直言って私の価値観からすると仕事ができない社員でした。製品のコードを見ないで言えることにどや顔。この女性の影響で他の社員からも私は総すかんをくらっており、うつ病上がりで転職した私にとっては非常に厳しい毎日でした。
ただ製品の供給不足が発生した際の、アメリカ工場との折衝、社内の営業部門への供給見通しの情報共有など、私の前職での経験を活かせる機会があり、部下の一人からの信頼を獲得することができるようになってきました。一人の信頼を獲得すると、オセロをひっくり返すようにほかの周りの方からの信頼を獲得できるようになり、とりあえず会社の立ち位置というか居場所を得ることができました。(ただお局社員とは最後まで心が通じ会えませんでした。)
カテーテルのサプライチェーン業務のほかに、ITの専門家ではないにも関わらず、日本法人統合による基幹システムの統合プロジェクトの日本統括リーダーの役割の無茶ぶりがあり、いやいやながらもその仕事を引きうけることになりました。通常、統合を受け入れる側が推進するはずなのに、統合される側が推進するという少しおかしな構図です。そういった意味で、私は会社への疑問を持ち始めることになります。またグローバルの体制含めその統合プロジェクトがなにしろ酷い。最終的には統合は成し遂げたものの、月間200時間ほど残業し労働過多になった時代がありました。体が疲れると精神も病んできた時代です。そのプロジェクトを推進していく中である部下に注意や指導するケースなどがあったのですが、その一部のシーンを切り取られ、先ほどのお局社員から会社にパワハラで訴えられる事態が発生しました。会社の調査委員会が立ち上げられ、聞き取り調査などが始まりました。私としてはまったく身に覚えのない事。結局、倫理委員会で私の「パワハラの事実はない」と認定され、事なきを得ましたが、そのような訴えがあったこと自体が人事部に色眼鏡で見られることになるのではと不安になりました。転職もしようと思いましたが、結局今の部署から異動することに。今思えば会社からの「懲罰」だったのかもしれません。
その後は、別の部署のサプライチェーンの業務に従事し、最大で250人くらいの部下も持つことに。ここでは人間関係含めまあまあうまくやっていたほうだと思います。困難だったのは会社の一部業務のアウトソースと、人員のリストラプロジェクトを推進しなければならない立場にあったことです。会社の都合であるにもかかわらず自己退職を促さなければならない。なぜかこの会社では人員リストラは、人事は側面サポートであり、事業側がこの役割を主に担う立場に。なんだか私の理解では変な会社です。ただそのプロジェクトもなんとかうまくこなせたと思っています。
ただ最後まで、会社が好きになれなかったな。努力はしたのだけれど。
[:外資系のがんの検査サービスの顧客サポート業務ー4社目]
ここは今の会社です。日本法人の規模は小さく7名体制ですが、アメリカに本社があり会社のビジョンも含めていい会社に勤められたと思っています。
この会社に来たきっかけは社長からのスカウトです。日本法人の社長(外国人)が前職の同僚(彼女も外国人)知り合いだったらしく、ひょんなことから私のことを紹介していただいたようです。はじめは、SNS(Linkedin)を通じたスカウトだったので、少し胡散臭いと思ったですが、事業内容を聞いて興味を持ちました。
事業内容は、患者の遺伝子を解析し、乳がんの再発リスクと、治療方針を決定するデータを提供するサービス。これまで行っていた実態のある製品を取り扱うというより、純粋にデータというサービスを提供するビジネスモデルに魅力を感じました。また無駄な治療の削減により社会的に問題になっている医療費の削減に貢献できるし、何と言っても辛い患者の抗がん剤治療から解放できる患者の見極め、生活品質の向上、という社会的意義が大きい。すでに日本でも行われているものの、まだ自費負担で検査料金が高額。その検査を日本の患者に広めるための様々な施策を行っており、また人材採用含め体制の構築も行っています。まだ日本で未実施の、がんに関わる検査のラインナップも充実しています。そういった意味でもこれまでに味わったことないやりがいと充実感があります。
[:プライベート、趣味について]
以上がいまでの仕事でのキャリアです。次はプライベート、趣味について、です。
前半の概要にも記載しましたが、まずは家族構成。妻と、20歳になる長男がいます。私は愛妻家(だと思っています)が、恐妻家でもあります。なにせ妻のクセが強い。一度決めた休日の予定が気分でコロコロ変わるし、それに振り回されます。が、ちょっと若作りで小さい顔が好き。そんな感じです。長男は寡黙ですが努力家。親からあまり勉強しろとか言わなかったのですが、第一志望の超難関の大学に合格することができました。今はコロナで在宅での授業が多いですが、音楽作成などが忙しいみたいです。
趣味は、ランニングです。昨年は月間100キロ程度。最近は200キロはコンスタントにこなしています。ただあまり速くありません。キロ5分切れないくらいのペース。75キロの半ウルトラは完走歴がありますが、ガチのフルマラソンや、100キロの本格的なウルトラはやったことがありません。2020,2021年にいくつかエントリーもしたのですが、コロナの影響で中止になり、まだ叶っていません。今年の目標にするかな。
あと、2019年にロードバイクを購入し、トライアスロンもしています。はじめはランニングの延長で、アクアスロン(スイム+ラン)から入りました。トライアスロンは2回完走歴あります。ここも今年のチャレンジ。スイム、バイク、ランの種目別順位をみると、だいたい同じくらいの順位なのでバランス型かと思います。トライアスロンをやって思うのは、得意なことを伸ばすより、不得意なことを人並みに持って行ったほうが効果が高いこと。いわゆる若い時の才能を伸ばすセオリーとは逆のような気がします。
もう一つの趣味は、仏像彫刻。地元のお寺の教室で7年くらい隔週のペースで通っています。「焦らない」「人と比べない」「心を整える」などの精神で行うのが仏像彫刻の心構えということで、様々な自分の悪いクセの戒めの意味でも良い機会となっています。自分の悪いところが治るとイイナと思っていますが、なかなか人の性格は変えられないものです。
[:まとめ]
あまり言いたくない過去も赤裸々に描いてみました。
様々な誤解もあったり、挫折や失敗も繰り返してきましたが、過去を振り返ることで、昨日の自分より少しでも成長できたら良いと思っています。
長文で、読者にとってはまったく面白くないと思われたらすいません。自己回顧の意味もあり、自己紹介記事をまとめてみました。
最後までお読み頂き、誠に有難うございました。
パワハラされたり、パワハラしたと訴えられたりー自己紹介記事(1/2)
皆さん、こんにちは。軸ブレ社会人です。
ブログを始めてから一か月半ばかりが経過しましたたが、ここで少し自分の仕事や趣味ことについて書いてみたいと思います。いわゆる「自己紹介記事」というやつです。
全体を通して、あまり面白くないかもしれませんが、ちょっと自分なりの特殊な経験としてはパワハラを受けたり、パワハラしたと疑われて社内で通報されたりしたことがああります。軽い気持ちで僕のことを知ってもらえたら嬉しいです。
(ちょっと長くなってしまうので2部構成にしました。)
[:軸ブレ社会人の概要]
簡単にいうと社会人歴23年目の46歳のおっさんです。
学生時代は勉強、スポーツともできたほうで、世間の感覚でいう「挫折」などを味わうこともなく、無難に過ごしてきたほうかと思います。都立高校、国立大学出身で学費の面では親孝行だったのかもしれません。
家族構成は妻と20歳になる大学生の長男と3人で分譲マンションで暮らしています。社会人2年目で結婚、3年目で長男が誕生したこともあり、マンションの返済やオムツなどの養育費など、給料が安い時代は、結構金銭的に苦労しました。百均ショップやディスカウントストアで妻と毎日食料を漁る苦悩の日々を過ごしたのは今は良い思い出です。
新卒で勤めた会社から、様々な挫折など繰り返し、3回転職し、今は「癌患者の治療方針を決定する遺伝子検査」を行う外資系の医療機器の会社に勤めています。現在は、時間的にも、金銭的にも余裕が出始めているので、ツイッターなどのSNSやこいうったブログで情報を発信したり、ランニング、読書、仏像彫刻などして時間を過ごしています。最近ではロードバイクを購入し、トライアスロンも始めました。
[:光学機器のメーカーで半導体製造装置の営業職ー1社目(新卒)]
大学を卒業して就職したのはこの会社。営業職として11年勤めました。
留学経験などをない私が、英語を使うようになったのもこの時期。メーカーの販売会社であったものの、私が取り扱う商材はドイツとアメリカにある別会社から輸入して国内の半導体メーカーに販売する仕事でした。お客様は工場などの生産現場のため技術的問題、障害など発生した際のあたりがキツイかったです。その対応や回答のためにドイツとアメリカの会社に掛け合う必要があり、明日回答を入手しないと「契約打ち切り」などの修羅場が多く、必要に駆られ英語を使い始めました。口頭でやり取りするスキルもなかったので、まずは英語で文字を入力しFAXを送信。返事がないことも多く、内容を必ず見てもうために電話で「FAXで送ったので見ておいて」と伝えるなど工夫して仕事をこなしていました。
あと、この時代は毎日出張していたと思います。半導体の生産現場は北海道から沖縄まで、日本の各地に点在しており、週の4日はほぼ外泊の出張でした。長男が誕生したのもこの時期で、予定日より遅れたこともあり、出産には立ち会えず、長崎の居酒屋で長男の誕生を知ったという失態。生まれたあとも土日以外は妻に子育てを任せっきり。そういった意味で妻や子供には苦労を掛けたと思っています。立ち合い出産ができなかったことは、妻からは未だに恨み節を言われます。
この仕事を辞めたのは、表向きの理由は、「日本の半導体業界の衰退」です。世界を席巻していた日本の半導体メーカーが、1990年代後半から2000年代前半にかけて、インテルに代表されるアメリカ勢、サムソンや台湾ファンダリーなどのアジア勢に追い抜かれ事業が衰退していきました。そのため我々の顧客の投資機会がなくなり、半導体製造装置が売れなくなっていくことを見越したから。ただ本当の理由は、ひょんなことから、若い時代から切磋琢磨した同年代のエンジニア(入社は彼のほうが後輩で、年齢は1つ年上)より給料が低いことがわかり、会社の自分に対する評価に失望したためです。今思うと「大学院卒」の彼と「大卒」の私の比較、ましてや「営業」と「エンジニア」という職種が違う従業員の比較をすることの無意味さに気づいていませんでした。ただ当時は、彼らも含むエンジニアなどもけん引して、ある大きな競合ユーザーの超大手の顧客を陥落して大きな商談プロジェクトを成功させたこともあり、そのような評価内容を知ってしまったことは、私にとっては初めての「挫折」でもありました。
今ではそのエンジニアとも、数年に1度の頻度で会うこともあり、その時のエピソードも含めて腹を割ってお話できる戦友としてお付き合いしています。
[:マイクロプロセッサーのビジネスオペレーション業務ー2社目]
2社目は、アメリアの大手マイクロプロセッサーメーカーの日本法人に約8年間勤めました。仕事の内容は、顧客からの注文管理、製品の納期管理、需要予測、工場からの製品供給枠確保などのサプライチェーン業務のほか、市場分析なども含む売上予測、事業計画作成など、業務系の仕事を広範に行うビジネスオペレーションを行いました。またマネージャーへ昇進し、マネジメント業務を行うようになったのもこの時期です。
注文管理、納期管理、売上予測などは、半営業的な要素も多く、顧客との信頼関係構築など前職のスキルを活かすことができたのですが、ビジネスオペレーションの本質的なところでは初めてのことも多く、当時、営業職11年を経験した33歳の私にとっては、大きなキャリアチェンジでした。様々なツールやエクセル業務に苦戦。当初はエクセルのVlook up関数や、SUM関数、Pivotテーブルなど、何のことやら。新卒間もない若いメンバーに圧倒されていたことを記憶しています。
また周りは留学経験者や帰国子女ばかりで、英語スキルの差に圧倒されました。会社の共通言語が英語ということもあり、メールは日本人同士でも英語でおこわなれるし、母国語のようにディベートを海外と行っている周囲に終始圧倒され、この英語の面では最後まで劣等感を感じながら会社生活を過ごしました。
初めての外資系の企業に転職し、トンでもないところに入社してしまったという後悔の半年感を過ごしましたが、それなりのコツと知識を吸収し、一人前に仕事をこなせるようになってからは、一つ一つの仕事に工夫とオリジナリティを加えたりするようになりました。おそらくこの時代で、ビジネススキルが大きく向上したと思います。徐々に周りの信頼を獲得し、様々な業務や会議体に召集されることになり、とうとう38歳でマネージャーに昇進することができました。
しかし、昇進したのもつかの間、日本法人がアジアパシフィック地域に統合されることになり、大きく組織が刷新され、大きなリストラが起こりました。マネージャー職含む様々なポジションの削減など行われましたが、幸い私はマネージャーとして残ることができました。おそらく当時の日本の部門長の配慮などもあったのだと思います。しかしながら、何か気になる態度や行動をとったためか(自分には全く身に覚えがない)、香港の女性上司から目を付けられ、各会議体での発言や提案など全面否定。これまで前職も含め、上司からここまで悪い評価をされたことはなく、社会人2度目の「挫折」。結果、ノイローゼになり心療内科に通うことになり、躁鬱との診断。休業の選択もありましたが、なんとなくキャリアに傷がつくような気がして、仕事を続けることを選択。ここからは苦悩の2年間。会社に実際上司がいるわけではないのに(香港からのリモートマネージメントなので)、会社行くのが恐怖でたまりませんでした。どういうわけか、部下に会うのも怖い。家でも寝込んでばかり。唯一の方法は会社を去ることだと思い、転職活動を行うことを決定しました。
しかしながら鬱の状態で転職活動を行っても良い面接ができず、落選の日々。その度に自信を失い、「負の連鎖」。転職エージェントからの手厚いサポートを受けて、なんとか一社内定を獲得したら、トントン拍子で複数の会社からオファーを頂きました。そのうちのカテーテルを取り扱う小さな外資系の医療機器の会社を選ぶことにしました。理由は、給与が良かったこともありましたが、米国本社が超大手医療機器メーカーから買収されて、日本法人も統合することが決まっていたので、超大手に就職することと同義と感じたから、という理由で決めました。(ただこれがのちの更なる「挫折」につながることになります。)
世の中にはもっと波乱万丈でドラマティックな人生を送っている方も多いと思います。
そういう方に比べると、平凡な人生を送ってきたのかもしれません。しかしながら自分にとっては、様々な挫折と葛藤を繰り返してきたと思っています。
今日はここまで。長文お読み頂き有難うございました。
後半も読んで頂けたら嬉しいです!! 後半では、直近での仕事のこと、趣味のことなど記載しています。